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神の愛と知恵 218

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218 上昇し、下降するそれらの段階は、前の段階や後の段階、なおまた高さの段階や分離した段階とも呼ばれ、その最終的な段階の中にその活力があることは、前に確証することに利用された感覚で捉えられるものと知覚できるもののすべてのものから証明されることができます。しかし、私は、ただ死んだ主体と生きた主体の中のコナトゥス(努力)・力・運動によって、それらを証明します。
 コナトゥスが、それ自体からは何もなし遂げず、それに対応する力によって、また力によって運動をひき起すことはよく知られています。ここから、コナトゥスが力の中のすべてのもの、力によって運動の中のすべてのものです——運動がコナトゥスの最終的な段階であり、それらによってその力を遂行するからです。
 コナトゥス・力・運動は高さの段階にしたがってしか結合されず、その結合は連続によるのではなく、分離しているので、対応によっています。なぜなら、コナトゥスは力ではなく、力も運動ではないからです。しかし、力はコナトゥスから生み出されます、というのは、力は刺激されたコナトゥスであり、運動は力によって生み出されるから——それゆえ、何らかの活力はコナトゥスだけの中にも、力だけの中にもなく、それらの生み出す運動の中にあります。
 このようであることは、自然の中の感覚で捉えられるものと知覚できるものへ適用することよって説明されていないので、今なお疑わしいように見えますが、それでも、活力の中のそれらの進行はこのようなものです。