神の愛と知恵 350
350 確かに、ある者に、目に見えるものを自然に帰すことが、二つの理由から許されています——
第一の理由は、主がいる天界の太陽について、そしてそこからの流入について、霊界とその状態について何らかのものも、それどころか、人間のもとに霊界が現在することについても知らず、ここから霊的なものは純粋な自然的なものであるとしか、このように天使はエーテルの中かあるいは星の中にいる、さらに悪魔については、人間の悪であるか、あるいは実際にいるとしても、空中に、あるいは深淵の中にいるとしか考えることができないことです。なおまた人間の霊魂は、死後、地の最内部の中にあるか、あるいは「どこか」に、すなわち「プー」に、審判の日までいるとしか知らなかったことです。霊界とその太陽についての無知から、空想により他の同様のものも引き起こされます。
許されることの第二の理由は、主がどのように、地上に見られる善いものも悪いものも、それらすべてのものを生み出すか、知ることができず、悪いものもまた神に帰し、神について物質的な観念を抱いて、神と自然を一諸にし、こうして混同することを自分自身のともに確信してしまわないようにすることです。
これら二つの理由で、自然は創造により植え付けられたものから目に見えるものを生み出す、と信じる者が許されています。
しかしそれでも、確信して自然を選んで自分自身を無神論者とした者は、神性を選んで確信することもできたので、許されません——無知なら確かに許されますが、確信された虚偽は取り除かれません、なぜなら、この虚偽は悪と、このように地獄と結びつくからです——それゆえ、神性を分離するまでも自然を確信した者は、何も罪と見なしません、すべての罪は神に反するものであるということを分離し、このように〔神を〕退けたからです。心の中で罪を何ら意に介しなかった者は、死後、霊となる時、地獄に結び付けられ、その抑制がゆるめられて、欲望にしたがって邪悪なことに突進します。