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神の愛と知恵 351

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351 自然の個々のものの中に神的な働きを信じる者は、自然の中に見る非常に多くのものから、自然を確信する者と等しく、それどころか、彼ら以上に神性を確信します。神性を確信する者は、植物と同じく動物の産出の中に見られる驚くべきものに心を向けるからです。
「植物の産出」の中では——地の中に投げられた小さな種から根が出て、根によって茎(幹)、そして連続的に枝、葉、花、果実、新しい種まで、完全に種がこの連続する順序を、またはそれ自体が新しくされる過程を知っているかのようです。
理性的な者のだれが、純粋な火である太陽は、自分の熱と光で、このようなことを引き起こし、なおまたそれら〔植物〕の中に驚くべきものを形作り、そして役立ちを目指すことを〔植物に〕与えることができることを知っている、と考えることができるでしょうか?
理性が高揚されている人間なら、それらのものを見、熟考するとき、無限の知恵がある方から、このように神からとしか考えることができません。
神性を認める者は、そのこともまた知り、〔そのように〕考えています。しかし、神性を認めない者は、欲しないので、そのことを知らないし、〔そのように〕考えず、このように自分の理性を感覚による認識力の中へ降ろし、自分のすべての観念を身体の感覚が属する弱々しい光から得て、「あなたは太陽がその熱とその光によってこれらの働きを生み出しているのを見ませんか? あなたが見ないものとは何ですか? 何らかのものなのですか?」と言って、自分たちの誤りを確信します。
神性を確信する者は、「動物の産出」の中に見られる驚くべきものに心を向けます——このことについて卵にだけ言及しておきます。卵の中にひなが、孵化まで種または始まりの中に、すべての必要なものとともに、また孵化後は、鳥または飛ぶ動物が親の形になるようにまで発達するすべてものとともに隠れています。形に心を向け、深く考えるなら、驚いてしまうにちがいありません。その動物の形の中には、最大のものの中のように最小のものの中にも、それどころか、見えるものの中のように、目に見えないものの中にも、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚である感覚器官があり、さらに筋肉である運動器官あり、というのは飛び、歩くからであり、脳により活動する心臓と肺のまわりの内臓があるからです。
下等な昆虫もまたこのようなものを授けられていることは、ある者により、特に、スワンメルダムにより、彼の『自然の聖書』で記述された解剖によって、よく知られています。
すべてのものを自然に帰する者は、確かにこのようなものを見ますが、存在していることを考えるだけで、自然が生み出す、と言い、このことを、神性について考えることから心をそらせたので、そう言うのです。神性について考えることから心をそらせた者は、自然の中の驚くべきことを見る時、理性的に、まして霊的に考えることができないで、感覚的に、物質的に考えます。その時、地獄の中にいる者がするのと同じように、自然から自然の中で、自然を越えないで考えます。獣との相違は、推理力を授けられていて、すなわち、理解でき、したがって欲するなら異なって考えることができるだけのことです。
〔ここは『結婚愛』416番、『真のキリスト教』12番1, 2, 3で引用されています〕