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神の摂理 36

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36 知覚へやって来る知恵は、真理への情愛からの真理の知覚です、特に霊的な真理の知覚です。なぜなら、市民的な真理、道徳的な真理、霊的な真理があるからです。
真理への情愛から霊的な真理の知覚の中にいる者は、道徳的な真理と市民的な真理の知覚の中にもまたやって来ます、なぜなら、霊的な真理の情愛はそれらの霊魂であるからです。
時々、私は天使と知恵について話しました。彼らは、「主は知恵そのものであられるので、知恵とは主との結合である」と言い、「地獄を自分自身から退けた者はその結合の中にやって来る。そして退ければ退けるほどそれだけその中にやって来る」と言いました。
彼らは、「私たちは知恵を、荘厳で最も装飾された宮殿とその中に十二の階段によって上ることで象徴している。主によりその方との結合を通してでないなら、だれも最初の階段にやって来ない、それぞれの者が結合にしたがって上り、だれも自分自身から賢明でなく、主から賢明であることを知覚しているかのように上る――なおまた、味わっている〔賢明である〕知恵は、味わっていない〔賢明でない〕知恵と比べて、大きな湖と比べたときの水滴のようである」と言いました。
知恵の宮殿への十二の階段によって、真理と結合した善と、善と結合した真理が意味されます。