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神の摂理 142

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142「身体の病気の状態」の中でだれも改心されないのは、理性は、その時、自由の状態の中にないから、というのは、心の状態は身体の状態によるからです。
身体が病気であるとき、心もまた病気です、〔実際に〕世から隔離されていなくても、それでも〔心は〕世から離れているからです。なぜなら、世から遠く離れた心は確かに神について考えます、しかし、神からは考えません、理性の自由の中にないからです。
理性の自由が人間にあるのは、天界と世の間の真ん中にいること、なおまた天界からと世から、天界から世について、世から天界について考えることができることからです。
そこで人間は病気の中にいて、死について、そして死後の自分の霊魂について考える時、世の中にいないで、霊〔の中〕に離されており、その状態の中だけでは、だれも改心することはできません。しかし、病気の中になるよりも前に改心しているなら、確信することができます。
[2]世とそこのすべての仕事を放棄し、神・天界・救いについてだけ考えている者も同様です、しかし、これらの事柄については他の箇所に多くのことを述べます。
それゆえ、病気の前に改心しているなら、その後、死んでも、病気の前にあったようなものと同じものになります――それゆえ、病気の中にいる者が悔い改めを行なうこと、または何らかの信仰を受けることができる、と考えることは空虚です。なぜなら、その悔い改めの中に何も行動はなく、その信仰の中に何も仁愛はないからです。それゆえ、〔行動と信仰の〕両者の中に、すべてのものは口先のものであって、心のものはありません。