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神の摂理 146

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146 例で明らかにします――
欺くこととひそかな盗みの中に快さを覚えていた人間が、〔それを〕罪であると見て、内的に認め、このためにそれらをやめようと欲し、やめる時、人間の内なるものと外なるものとの闘争が起こります。
内なる人は誠実の情愛の中にいます、しかし、外なる人は依然として欺くことの快さの中にいます。その快さは、誠実の快さと完全に対立しているので、強制されないなら去らないし、闘争によってでないなら強制されることもできません。勝利する時、外なる人は仁愛である誠実の愛の快さの中にやって来ます。その後、欺くことの快さは彼に連続的に不快なものになります。
残りの他の罪も同様です、例えば、姦淫や淫行・復讐や憎しみ・冒涜やうそつきの罪です。
しかし、すべてのうちで最も困難なものは自己愛からの支配愛との闘争です――これを征服する者は、容易に残りの他の悪の愛を征服します、それらの源であるからです。