神の摂理 153
153 「悪を罪として避けなくてはならない、そうでなければ赦されない、罪が赦されないなら、決して救いはない」ことが、たとえ全キリスト教世界に知られていても、やはりそれでも千人のうち、ほとんど一人もこれを知らないことを、しばしば私は不思議に思いました。このことが霊界で調べられ、そしてそのようであるがわかりました。
というのは、キリスト教世界の中のだれもそのことを、聖餐に出席する者の前で朗誦される祈りから知っているから、なぜなら、それらの中に明らかに述べられているからです。それでも、このことを知っているかどうか質問されるとき、「知らない、知らなかった」と答えます。
その理由は、そのことについて考えず、大部分の者は単に信仰について、またその信仰のみを通しての救いについてだけ考えたからです。
信仰のみがそのように目を閉ざしたこと、その信仰を自分自身に確信した者が、みことばを読む時、そこに愛・仁愛・働きについて言われているのに、そのことを何も見ないこともまた、私は不思議に思いました。文書に朱を塗りつける者のように、みことばのすべてのものの上に信仰を塗りつけたのであり、そこからは下にあるものが何も明らかではありません。もし何かが明らかになっても、信仰により吸収され、それがその信仰であると言われます。