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神の摂理 154

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(4–4)神的な摂理の法則は、人間が、みことばとそれからの教えと説教によって、主により天界から導かれ、教えられ、このことがすべての外観の中で自分自身からのように行なわれることである

154 人間が自分自身から導かれ、教えられことは外観からであり、人間が主だけから導かれ、教えられることは真理からです。
外観を自分自身のもとで確信し、同時に真理を確信しない者は、悪を罪として自分自身から遠ざけることができません。しかし、外観と同時に真理を自分自身のもとで確信する者はできます。なぜなら、外観の中で人間により、真理の中で主により、悪が罪として遠ざけられるからです。
後者は改心されることができます。けれども、前者はできません。
[2]外観を確信して、同時に真理を自分自身のもとに確信しない者は、すべて内的な偶像崇拝者です。彼らは自分自身と世の礼拝者であるからです。彼らに宗教がないなら、自然の礼拝者に、このように無神論者になります。しかし、彼らに宗教があるなら、人間を崇拝する者になり、同時に偶像の崇拝者になります。
これらの者が、今日、十戒の最初の戒めの中に意味される他の神々を礼拝する者です。
しかし、自分自身のもとに外観と同時に真理を確信する者は、主の礼拝者になります。なぜなら、主が、彼らを外観の中にいることである彼らのプロプリウムから高揚させ、彼らを光の中に、その中に真理があり、真理である光の中に連れてこられ、彼らに、自分自身からでなく、主により導かれ、教えられること、そのことをさらに内的に受け入れることを与えられるからです。
[3]後者と前者の理性は、多くの者に同じように見えることができます、しかし、同じではありません。
外観の中にいて同時に真理の中にいる者の理性は、霊的な理性です。しかし、外観の中にいて同時に真理の中にいない者の理性は、自然的な理性です。しかし、この理性は冬のような光の中の庭園にたとえることができ、霊的な理性は春のような光の中の庭園にたとえることができます。けれども、これらのことについて多くのことを続くものの中で、次の順序で述べます――

(1)人間は、主おひとりにより導かれ、教えられる。
(2)人間は、主おひとりにより、天使の天界を通して、天界から導かれ、教えられる。
(3)人間は、主により流入を通して導かれ、照らしを通して教えられる。
(4)人間は、主により、みことばを通して、それからの教えと説教を通して、このようにその方だ けから直接に教えられる。
(5)人間は、主により外的なものの中で、すべての外観の中で自分自身からのように導かれ、教えられる。