神の摂理 174
174 (5)人間は、主により外なるものの中で、すべての外観の中で自分自身からのように導かれ、教えられる
このことは、彼の外なるものの中で生じます、けれども、内なるものの中で生じません。
どのように霊魂が働いて、目が見、耳が聞き、舌と口が話し、心臓が血を動かし、肺が呼吸し、胃が消化し、肝臓と膵臓が調節し、腎臓が分離し、他の無数のものもそうであることをだれも知らないように、主がどのように人間を彼の内的なものの中で導き、教えられるか、だれも知りません。
これらは人間の知覚と感覚に生じません。
主により、心のさらに内的な実体と形の中に生ずる無数に多くのものも同様です。
それらの中の主の働きは人間に見られません。しかし、結果そのものは見られ、結果の原因のあるものも見られ、それらは数多くあります。
これらは外なるものであり、それらの中で人間は主と一つです。外なるものは内なるものと一つになるので、なぜなら、一つの連鎖の中で結合するからであり、それゆえ、外なるものの中で人間によって配列されることにしたがってでしか、主により内なるものの中で配列されることができません。
[2]人間がすべての外観の中で自分自身からのように考え、意志し、話し、行なうことは、その外観なしに人間に意志と理解力は何もないこと、このように情愛と思考は何もなく、主からの善と真理の何らかの受け入れることも何もないことは、だれでも見ることができ、だれもが知っています。
このようであるので、その外観なしに神についての知識は何もなく、仁愛と信仰は何もなく、このように改心と再生は何もなく、何も救いはないといえます。これらから、それらすべての役立ちのために、その外観が主により人間に与えられていること、そして、特に、人間に受け取ることと相互関係があり、それらによって主が人間に、人間が主に結合されることができ、そして人間がその結合によって永遠に生きるように結合されることができることが明らかです。
ここに意味されているのは、この外観です。