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神の摂理 190

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190 変りやすいものが存在できるために、創造された多くの変わらないものがあります。
変わらないものは、太陽と月、そしてまた星の出没の交替の状態です。間に入ることから、それらが暗くなることがあり、それらは蝕と呼ばれます。それらから光と熱があります。一年の時があり、それらは春・夏・秋・冬と呼ばれます。一日の時があり、それらは朝・昼・夕・夜です。本質的に眺めたとき、大気・水・地もあります。植物界の中に成長力があり、それにまた動物界の中に生殖力があります。なおまたそれらは活動の中に送られる時、これらから、秩序の法則にしたがって、変わらずに生じます。
これらやまた他の多くのものが創造から、無限にいろいろなものが存在することができるために備えられたものが存在します――というのは、不変なもの、固定したものと確定したものの中でないなら、いろいろなものは存在するようになることができないからです。
[2]しかし、これらを例で説明します。
植物のいろいろなものは太陽の出没がないなら、ここから熱と光が一定でなかったなら存在しません。
調和する音に無限の変化があります、しかし、大気がその法則で、また耳がその形で一定でなかったなら存在することができません。
視覚の変化は、それもまた無限であり、大気がその法則で、また目がその形で一定でなかったなら、同じく色も、光が一定でなかったなら存在することができません。
思考・話すこと・行動も同様であり、それらもまた無限の変化があり、身体の器官が一定でなかったなら、それらも存在しません。
家は、いろいろなことがその中で人間により行なわれることができるために、一定でなければならないのではありませんか?
神殿も、その中でいろいろな礼拝・説教・教育・敬虔な瞑想が存在するようになることができるために、同様ではありませんか?
他のものの中でも、そのようです。
[3]変化そのものについては、それは変わらないもの、一定のもの、確定したものの中で生じ、それらは無限に進み、終わりがありません。それでも、あるものが他のものと完全に同じであるものは、全世界のすべてと個々のものの中に、決して存在しませんし、続くものの中で永遠に存在することもできません。
不変性の中で存在する目的のために、秩序の中にあるように、その不変性を創造した者でないなら、だれが、無限にそして永遠に進む、それらの変化を配列するのですか?
また、いのちそのもの、すなわち、愛そのものと知恵そのものである者以外に、だれがいのちの無限の変化を人間のもとに配列することができますか?
創造の連続のようなその方の神的な摂理なしに、人間の無限の情愛とそこからの思考が、このように人間そのものが一つとなるように配列されることができるのですか?悪の情愛とそこからの思考は、地獄である悪魔と一つとなり、そして善の情愛とそこからの思考は天界の中の主と一つとなっていませんか?
天使の全天界は、主の視野の中で、一人の「人間」のようであって、その方の映像と似姿であり、全地獄は一人の怪物の人間のように対立していることは、何回も前に言われ、示されました。
これらのことが言われたのは、自然的な人間もまた、いろいろなものが存在するようになるようにとの目的のために必要なものである変わらないものと一定なものから、自然のために、プロプリウムの(自己固有の)思慮分別のために、自分自身の狂った論証を獲得するからです。