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神の摂理 200

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200 さて、人間の情愛の快さは、最内部から内的なものを通って外的なものへ、最後に身体の中にある最外部へ、波と大気が船を導くように、人間を導き、心の最外部の中に、また身体の最外部の中にあるものでないなら、何も人間に見えないので、わずかなその最外部のものが彼に自分のもののように見えるそのことだけから、その時、どのようにして人間は神性を自分自身に要求することができますか?
「みことば」から、人間は天界から与えられないなら自分自身から何も得ることができないことを知り、また「理性」から、人間が生きるために、何が善と悪か見て、一つをまたはもう一つを選択し、選んだものを自分のものにし、神と相互に結合され、改心し、再生し、救われ、永遠に生きることができるようにとその外観が彼に与えられていることを知る時、またさらに神性を自分自身に要求してはなりません。
理性にしたがって自由から行動するために、したがって、自分自身からかのように、手をこまぬくことがなく、流入を期待することがないように、その外観が人間に与えられていることは、前に言われ、示されています。
これらから、第三に示さなくてはならないものを確信することになります――
(3)人間のいのちの愛の情愛は、主によりその方の神的な摂理を通して導かれ、同時に、思考が導かれ、それらから人間の思慮分別がある