カテゴリー

神の摂理 209

208◀︎目次▶︎210

209 このような者たちに天界が開かれるとき、彼らが狂っていると言われ、そのこともまた彼ら自身の知覚に、流入と照らしによって生ずることが明らかにされるのは驚くべきことです。それでもやはり彼らは憤慨から自分自身に天界を閉ざし、下に地獄がある地に目を向けます。
このことは彼らに、霊界の中で起こり、その者は依然として地獄の外にいますが、地獄にいるような者です――そのことから、「天界を私が見るなら、また天使が私と話すのを私が聞くなら、私は認めよう」と考える者の誤りが明らかです。
理解力では認めます、しかし、同時に意志が認めないなら、やはり認めません――なぜなら、意志の愛が理解力に何でも欲するものを吹き込み、その逆ではないからです。それどころか、理解力の中で意志それ自体から存在しないものすべてのものを消し去ってしまいます。