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神の摂理 222

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222 (1)人間は霊的な事柄の知恵の中に、それらの愛の中にも入れられることができるが、それでも改心されることができない
その理由は、人間に推理力と自主性があり、推理力によってほとんど天使の知恵にまで高揚され、自由性によって天使の愛に似てもなくない愛の中にいることができるからです――しかしそれでも、愛がどのようなものかによって、そのような知恵があります。愛が天的で霊的であるなら、知恵もまた天的で霊的になります。しかし、愛が悪魔的で地獄的であるなら、知恵もまた悪魔的で地獄的です。それどころか、この知恵は、外なる形の中で、このように他の者の前で、天的なものまた霊的なもののように見られることができます、しかし、その本質そのものである内なる形の中で、彼の外でなく、しかし彼の内で、悪魔的なものであり、地獄的なものです。
このようなものであることは人間に見られません、人間は自然的であり、自然的に見、聞き、外なる形は自然的であるからです――しかし、このようなものであることは天使に見られます、天使は霊的であり、霊的に見、聞き、内なる形は霊的であるからです。
[2]これらから、人間は霊的な事柄の知恵の中に、そしてまたそれらの愛の中に入れられることができ、それでも改心しないで、しかし、その時、それらの自然的な愛の中だけにいて、それらの霊的な愛の中にいないことが明らかです。
その理由は、人間は自然的な愛の中に自分自身を入れることができます、しかし、主だけが霊的な愛の中に入れることができるからです。この愛の中に入れられる者は改心します。しかし、自然的な愛だけの中に入れられる者は改心しません。というのは、これらの者の大部分は偽善者であり、多くの者はイエズス会の修道会の出身者であり、その者は神性の何らかのものを内的に信じていないで、占い師のように神性を外的にもてあそぶからです。