神の摂理 229
229 (3)多くの種類の冒涜がある、しかし、この種類のものはすべてのうちで最悪である
最も一般的な意味で、冒涜によってすべての不敬(不信心)が意味されます。したがって、冒涜する者によってすべての不敬な(不信心な)者が意味されます。その者は心で神を、みことばの神聖さを、ここから聖なるものそのものである教会の霊的なものを否定し、それらについてもまた不敬に(不信心に)話します。
しかし、ここではこれら者についてではなく、神を告白し、みことばの神聖さを〔心に〕決め、教会の霊的なものを認め、それでも大部分の者はただ口だけで〔そうしている〕、その者たちについて扱います。
これらの者が冒涜することの理由は、みことばからの聖なるものが彼らの中に、彼らのもとにあり、彼らの中にあること、そして彼らの理解力と意志の何らかのものになっていることが、冒涜をひき起こすからです――しかし、それでも、神性と神的なものを否定し、冒涜することのできる何らかの聖なるものがない不敬な者にはできません――これらの者は確かに冒涜する者です、しかし、それでも神性を汚す者ではありません。