神の摂理 232
232 (4)それゆえ、人間が知恵の真理の中と同時に愛の善の中に、生涯の終わりまで保たれることができないかぎり、主は人間をそれらの中に内的に入れられない
このことは、二つの理由から明瞭に示されて進められなければなりません。一つは、人間の救いに重要であるから。もう一つは、許しの法則の知識はこの法則の知識かかっているからであり、それらの許しの法則については続く節の中で述べます。
人間の救いに重要であるからというのは、前に言われたように、みことばの神性を、ここから教会の神性を最初に認め、その後、それらから去る者は、聖なるものを最も重く冒涜するからです。
そこで、理性的な人間がその光の中でそれを見ることができるようにまでも、神的な摂理のこのアルカナが明かされるために、次の系列の中で説明されるべきです――
(1)人間のもとの内的なものの中に、悪は善と同時に、ここから悪の虚偽も善の真理と同時に存在することができない。
(2)主により人間の内的なものの中に、そこに悪と悪の虚偽が遠く離されていないかぎり、善と善の真理はもたらされることができない。
(3)もし、善がその真理とともに、悪がその虚偽とともに遠く離される前かまたはさらに多くもたらされるなら、人間は善から去り、そして自分の悪へ戻る。
(4)人間が悪の中にいるとき、彼の理解力に多くの真理がもたらされ、これらは記憶の中にたくわえられることができる、それでも冒涜されることはできない。
(5)しかし、主はご自分の神的な摂理によって、その記憶が意志により、前かまたさらに多く、ここから受け入れられないように、人間が自分自身からのように外なる人の中で悪を遠ざけるかぎり、その記憶を最大に用心される。
(6)もし、前かまたさらに多くなら、その時、善と真理に悪と虚偽を混ぜて、意志は善を不純化し、理解力は真理を虚偽化する。
(7)それゆえ、人間が知恵の真理の中と愛の善の中に、生涯の終わりまで保たれることができないかぎり、主は人間をそれらの中に内的に入れられない。