神の摂理 234
(8)許しの法則もまた神的な摂理の法則である
234 神的な摂理の法則それ自体からまたはその法則から分離した許しの何らかの法則はなく、それらは同じものです。それゆえ、主が許される、と言われるとき、そのことによって〔主が〕望まれることが意味されないで、救いである目的のために避けることができないことが意味されます。
救いである目的のために行なわれるものは何でも、神的な摂理の法則にしたがっています――なぜなら、前に言われたように、神的な摂理は絶えず目的に向けて、常にいろいろな方向に目を向け、また人間の意志にも逆らっているからです。それゆえ、その働きのすべての瞬間に、すなわち、その進行のすべての歩みの中で、人間が目的からさ迷い出ていることを気づかせ、悪から導き出し、善へ導いて、彼をその法則にしたがって導き、曲げ、整えます。
このことが悪の許しがなくて行なわれることができないことは、続くものの中で見られます。
さらに、何らかのものは理由なしに許されることができません、その理由は神的な摂理の何らかの法則の中にしか存在せず、その法則がなぜ許されるかを教えています。