神の摂理 238
238 同じ自然的な人間がいろいろな国民の宗教を眺めるとき、神的な摂理に反対して確信します。
(1)例えば、神をまったく知らない者が存在すること。そして、太陽や月を、なおまた、偶像と彫像、怪物も、そしてまた、死んだ人間を崇拝する者が存在する。
(2)加えて、イスラムの宗教的信念がこれほど多くの帝国と王国に受け入れられている。
(3)また、キリスト教が地球の住むに適したヨーロッパと呼ばれる最小の部分にだけあること、また、そこで分裂していることを見るとき。
(4)そこに、神的な力を自分自身に要求し、そして神として崇拝されることを欲する者、死んだ人間に祈る者がいる。
(5)なおまた、救いを、考えて話すある言葉の中に置き、行なわなくてはならない何らか善の中に置かない者がいること。なおまた、自分の宗教を生きる者がわずかである。
(6)さらに異端があること。それらは多くあったし、あるものは今日もあること。例えば、クエーカー派、モラヴィア派、再洗礼派、その他の者である。
(7) なおまた、ユダヤ教が依然として存在し続ける。
これらから、神的な摂理を否定する者は、宗教が本質的に何ものでもなく、しかし、それでも、束縛するものとして役立つので必要である、と結論します。