神の摂理 239
239 これらの論証に、今日、多くのものが加えられることができ、それらのものによって、自然と人間の思慮分別だけを賛成して内的に考える者は、さらに確認することができます。例えば、
(1)全キリスト教世界が、神が一つの位格(ペルソナ)と本質であること、その方は主であることを知らないで、三つの神を認めている。
(2)なおまた、これまで、みことばの個々のものの中に霊的な意味があり、ここからその神聖さがあることを知らなかった。
例えばまた、
(3)悪を罪かのように避けることがキリスト教そのものであることを知らなかった。
(4)そしてまた、人間は死後、人間として生きることを知らなかった。
それというのも、自分自身に、また互いの間で、「神的な摂理が存在するなら、なぜ、このようなものが、今、初めて啓示されるのか?」と言うことができるからです。