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神の摂理 243

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243 (3)イスラエルの国民は荒野の中で金の子牛を礼拝し、それをエジプトの地から彼らを導き出した神として認めた。そのときそれでも、エホバはこのことをシナイ山から近くで見て、警戒されなかった
このことはシナイ山に近い荒野で起こりました。
エホバが彼らをその不埒な礼拝から導き出されなかったことは、これまで提示され、そしてまた続く神的な摂理のすべての法則にしたがっています。
この悪は、すべての者が滅びないように彼らに許されました。なぜなら、主の教会を表象するためにエジプトから連れ出されたイスラエル民族は、最初に彼らの心からエジプトの偶像崇拝が根絶されないなら、このことは表象することができなかったからです。またこのことは、彼らの心の中にあったことにしたがって行動するがままにされ、このようにそれがきびしい罰で取り除かれないなら、行なわれることができなかったからです。
その礼拝によって、そしてまた彼らは完全に退けられなければならないとの脅しによって、またモーセから新しい国民が起こされることによって、さらに何が意味されるかは、「出エジプト記」第32章についての『天界の秘義』の中に見られ、そこにそれらについて扱われています。