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神の摂理 255

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255 (2)単なる自然的な人間は、イスラムの宗教的信念がこれほど多くの帝国と王国に受け入れられていることを眺めるとき、神的な摂理に反して確信する
キリスト教よりもこの宗教的信念が多くの王国により受け入れられていることは、神的な摂理について、キリスト教徒に生まれた者でないなら、このようにそこにみことばがあり、またそれによって主が知られていないなら救われることができない、と考え、また同時に信ずる者には、つまずきの石となることができます。
しかし、イスラムの宗教的信念は、すべてのものは神的な摂理に属することを信ずる者に、つまずきの石ではありません――これらの者は〔つまずきの石とならないものが〕どこにあるか捜し求め、そしてまた次のものを見つけます。イスラム教が、主を神の子として、人間で最大に賢い者、人間を教えるために世に来た最大の預言者としても認めていることです――彼らの大部分は、その方をムハンマドよりも偉大としています。
[2]その宗教的信念が、多くの国民の偶像崇拝を廃止するために主の神的な摂理から引き起こされたことが、十分に知られるように、何らかの順序で言わなければなりません、それゆえ、最初に偶像崇拝の起源について述べます。
その宗教的信念の前に、偶像の礼拝は地球の全地の中で普遍的でした。
その理由は、主の来臨前の教会はすべて表象的な教会であったことです。
イスラエル教会もまたこのようなものでした。そこでは、天幕・アロンの衣服・いけにえ・エルサレムの神殿のすべてのもの、そしてまた法令は、表象するものでした。
また、古代人のもとに対応の知識があり、それもまた表象するもの、知恵の知識そのものであり、特にエジプトで発達し、ここから、彼らの象形文字がありました。
その知識から、すべての種類の動物が、なおまた、すべての種類の木が何を、例えば、山・丘・川・泉が何を、さらにまた、太陽・月・星が何を意味するか知られました。彼らのすべての礼拝は対応そのものから構成される表象的なものであったので、それゆえ、山や丘の上で、そしてまた杜や庭園の中で、礼拝をもち、そしてそれゆえ、泉を神聖なものとし、神の礼拝の中では太陽の昇るところへ顔を向けました。また加えて、馬・牛・子牛・子羊、それどころか鳥・魚・ヘビの彫像をつくり、またこれらを家や他のところに、教会の霊的なものにしたがった順序で置き、それらによって対応させました、すなわち、それらで表象しました。
それらが意味した聖なるものを記憶に呼びもどすために、同じようなものを自分たちの神殿の中にもまた置きました。
[3]時が過ぎて、対応の知識が消し去られた時、後代の者が彫像そのものを本質的に聖なるものとして礼拝し始めました。彼らは祖先の古代人たちがそれらの中に何ら聖なるものを見ず、しかし単に対応にしたがって表象し、ここから聖なるものを意味したことを知りませんでした。
ここから偶像崇拝が起こり、それらは地球の全地、アフリカやヨーロッパと同じく、周囲の島々とともにアジアを満たしました。
すべての者にそれらの偶像崇拝が根絶されるよう、主の神的な摂理から、東洋人の性質に適合した新しい宗教が始まりました。その宗教のあるものは両契約聖書からであり、主は世に来られ、その方はすべての者の中で最も賢い者、最大の預言者であり、神の子であったことも教えられました――このことはムハンマドによって行なわれ、その者からその宗教はムハンマドの宗教(イスラム教)と呼ばれました。
[4]東洋人の性質に適合したこの宗教は、言われたように、主の神的な摂理から、このように多くの国民の偶像崇拝を除き、霊界にやって来る前に主についての何らかの思考を与える目的のために起こされました。その宗教が彼らの思考の観念とすべての生活にふさわしく、また適合していなかったなら、このように多くの王国に受け入れられず、偶像崇拝を根絶することはできませんでした。
主を天地の神として認めなかったことの理由は、東洋人は全世界の創造者の神を認めており、その方が世の中にやって来ること、人間性をとられることを理解することができなかったからです。キリスト教徒が自分の思考の中でその方の神性をその方の人間性から眺め、そして神性を天界の父の近くに置き、そしてその方の人間性がどこからか知らず、理解しないのと似ています。
[5]これらから、ムハンマドの宗教(イスラム教)もまた主の神的な摂理から起こったこと、主を神の子として認め、同時に十戒の戒めにしたがって――それらもまた彼らにあります――悪を罪として避けて、その宗教信念に生きるすべての者は、イスラム教徒の天界と呼ばれる天界の中に、やって来ること見ることができます。
この天界もまた、最高、中間、最も低い三つの天界に分かれています。
主を父と一つと認め、またこのようにその方だけを神と認める者は最高の天界の中にいます――多くの妻を退け、一人の妻と生きる者は第二の天界の中にいます。その教えへ導かれる者は最も低い天界の中にいます。
この宗教について多くのものが『続 最後の審判と霊界について』の中に見られ、そこにはイスラム教徒とムハンマドについて扱われています(68-72番)。