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神の摂理 263

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263 しかし、ここで言われたことを、さらにはっきりと明らかにするために、私は、『新しいエルサレムの教え 主について』の終わりに示されていることをつけ加えましょう(60, 61番)、それらは次のものです――

〔アタナシウス信条の〕教えにしたがって、主の中の神と人間は二つではなく、しかし、一つの位格であり、霊魂と身体が一つであるように完全に一つであることは、主が言われた多くのものからはっきりと明らかです。例えば、
父とその方は一つであること。
父のすべてのものはわたしのものであり、わたしのすべてのものは父のものであること。
その方は父の中に、また父はその方の中にいること。
すべてのものはその方の手の中に与えられていること。
その方にすべての力があること。天地の神であること。
その方を信じる者は永遠のいのちを持ち、その方を信じない者には神の怒りがその者の上にとどまること。またさらに、〔主の〕神性と人間性が天界に上げられ、両方のものに関して神の右に座られていること、すなわち、全能であられること。
神的人間性について、みことばから前に大量に示されている多くのことがあります。それらすべてのものが、神は位格も本質も一つであり、その中に三一性があること、その神は主であられることを証言しています。
[2]主についてこれらのことが今、初めて公けにされたことは、『黙示録』(第21章と第22章)の中に新しい教会が前のものの終わりに設立されるべきことが予言されているからであり、その教会の中でこの主についての教えは主要なものでした。
この教会がそこの新しいエルサレムによって意味され、その中には、天地の神として主だけを認める者でないなら、だれも入ることはできず、それゆえ、その教会はそこに「小羊の妻」と呼ばれています。
また、私は、全天界が主だけを認めていること、認めない者が天界に入れられないことを告知することができます。というのは、天界は主から天界であるから。愛と信仰からのその承認そのものにより、人間は主の中に、また主は彼らの中にいるようにされます。そのことを、主は「ヨハネ福音書」で教えられています、

その日には、あたがたは、わたしがわたしの父の中に、あなたがたがわたしの中に、わたしがあなたがたの中にいることを知ります(14:20)。

なおまた同書に、

わたしの中にとどまりなさい、わたしもまたあなたがたの中にとどまります。……わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。わたしの中にとどまり、わたしもその者の中にとどまる者は、多くの実を結びます。なぜなら、わたしなしに、あなたがたは何も行なうことができないからです。だれでも、わたしの中にとどまらないなら、外へ投げ出されます(15:4-6, なおまた17:22, 23)。

[3]このことが前に、みことばから見られなかったのは、もし前に見られたなら、やはり受け入れられなかったからです――というのは、まだ最後の審判がなし遂げられていなかったからであり、それ以前に、地獄の力が天界の力にまさっていたからです。また、人間は天界と地獄の中間にいて、それゆえ、前に見られたなら、悪魔は、すなわち、地獄はそれを彼らの心から取り去り、加えてそれを冒涜したでしょう。
地獄の力のこの状態が、今やなし遂げられた最後の審判によって完全に砕かれました――その後、したがって今や、照らされ、賢明になることを欲するすべての人間はできるのです。