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神の摂理 283

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283 悪を考え、それを意図するまでも人間に許されるのは、〔前に〕言われたように、市民的なもの、道徳的なもの、霊的なものによって遠ざけられるためです。このことは、公正と平等に反し、体面や似つかわしさに反し、善と真理に反し、このように生活の静穏・快さ・幸運に反していると考えているとき、生じます。
それらの三つのものによって、確かに最初は恐れによって、その後、愛によって、主は人間の意志の愛を癒されます。
しかしそれでも、悪は人間から分離されず、追い出されません、しかし、単に遠ざけられ、脇へ追い払われるだけです。善が中央にある時、悪は見られません。というのは、何でも中央にあるものは、これは真っすぐ前方に凝視のもとにあり、そして見られ、知覚されるからです。
しかし、たとえ善が中央にあっても、それでも人間は、脇にある悪が下方または外へ向かっているのでないなら、それゆえに善の中にいないことを知らなければなりません。もし、悪が上方または中へ向かって眺めているなら、遠く離れていません、なぜなら、やはり中央へ戻ろうと努力するからです。
人間が自分の悪を罪として避ける時、その悪を退ける時はなおさら、その悪は下方または外へ向かい、眺めます。なぜなら、その時、その悪を断罪し、地獄へと呪い、そしてそこを眺めるようにさせるからです。