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神の摂理 284

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284 人間の理解力は、善も悪も、また真理も虚偽も受け入れるものです。けれども、人間の意志そのものは受け入れません。意志は悪の中かまたは善の中になくてはなりません。両方にあることはできません。なぜなら、意志は人間そのものであり、そこに彼のいのちの愛があるからです。
けれども、善と悪は理解力の中で、内なるものと外なるもののように分離しています。ここから人間は内部で悪の中に、外部で善の中にいることができます――しかしそれでも、人間が改心するとき、善と悪は集められ、その時、衝突と争いが存在するようになり、それは深刻であるなら、試練と呼ばれ、そして深刻でないなら、ワインまたはビールが発酵するようなものになります。
その時、善が勝つなら、悪は自分の虚偽とともに脇へ遠ざけられ、比べれば、おりのように容器の底に沈みます。そして、善は発酵後の優良銘柄のワイン、透き通るビールのようになります。
しかし、悪が勝つなら、その時、善は自分の真理とともに脇へ遠ざけられ、濁って、きたない、発酵しきっていないワイン、発酵しきっていないビールのようになります。
酵母(パン種)に譬えたのは、みことばの中の「パン種」は悪の虚偽を意味するからです(例えば、ホセア7:4、ルカ12:1、また他の箇所に)。