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神の摂理 285

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(10)神的な摂理は、等しく善い者と悪い者のもとにある

285 それぞれの人間のもとに、善い者にも悪い者にも二つの能力があり、一つは理解力を、もう一つは意志をつくっています。
理解力をつくっている能力は、理解し、考えることができるものです。ここからこの能力は推理力と呼ばれます――意志をつくっている能力は、理性または推理力に反していないかぎり、考えること、ここから自由に話すことと行なうことができる能力です。というのは、自由に行動することは、欲するたびごとに、欲するように行動することであるからです。
これらの二つの能力は、人間が考え、行なうすべてと個々のものの中に最初から最後まで連続して永続し、またそれらの能力は、人間に自分自身から内在せず、人間のもとに主からあるので、それらの能力の中にもまた主が現在されるとき、理解力と思考の中に、なおまた意志と情愛の中に、ここから話すことと行動の個々のもの、それどころか人間の最も個々のものの中にあることがいえます。
何らかの最も個々のものからそれらの能力を取り除いてみなさい、するとあなたは人間としてそれを考えることも話すこともできなくなります。
[2]人間はそれらの二つの能力によって人間であり、市民的なものと道徳的なものだけでなく、霊的なものもまた考え、話すことができ、善を知覚し、真理を理解し、そして改心し、再生することができます、一言でいえば、主と結合され、そのことによって永遠に生きることができます、このことは前に多くのものによって、なおまた、それら二つの能力は、善い人間だけでなく、悪い人間にもまたあることが示されています。
そこで、それらの能力は主から人間のもとにあるので、人間に自分のものとされません(というのは、神性は人間に自分のものとされることができず、しかし、神性に結び付けられることができ、そのことによって彼のものとして見られることができるからです)、その神性は人間のもとに彼の最も個々のものの中にあるので、主は悪い人間と同じく善い人間のもとの最も個々のものを支配しておられることがいえます。そして主の支配は神的な摂理と呼ばれるものです。