神の摂理 287
287 (1)神的な摂理は全般的な最も個々のものの中に、善い者のもとにだけでなく、悪い者のもとにもある。それでも、彼らの悪の中にはない
神的な摂理は人間の思考と情愛の最も個々のものの中にあり、そのことによって、人間は自分自身から考え、意志するものは何もなく、しかし、考え、意志し、ここから話し、行なうすべてのものは流入からであることが意味され、このことが前に示されました。善であるなら、天界からの流入から、悪であるなら、地獄からの流入からです。あるいは同じことですが、善は主からの流入からであり、悪は人間のプロプリウムからの流入からです。
しかし、私は、これらのことが、天界または主から流入するものと地獄または人間のプロプリウムから流入するものの間の区別がされないので、ほとんど理解されることができないことを知っています。
それでも、神的な摂理は人間の思考と情愛の最も個々のものの中にあり、人間は自分自身から考え、意志することは何もできないとまでも言われており――しかし、地獄からも、なおまた自分のプロプリウムからもできると言われるので、そのことは矛盾のように見えますが、しかし、それでも矛盾ではありません――矛盾ではないことは、あらかじめその事柄を説明する何らかのものが言われた後に、続きの中で見られます。