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神の摂理 290

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290 提示した経験に、次のこともまた付加しなければなりません。
霊と天使たちと話すことが主から私に与えられた時、次のアルカナが直ちに明かされました。というのは、私は他の者のように、私から考え、私から意志する、と信じていますが、そのときそれでも、「あなたからは何もなく、善なら主からであり、悪なら地獄からである」と天界から言われたからです。
このようであったことは、導き入れられたいろいろな思考と情愛によって、私に生き生きと示され、引き続いて、それを知覚し、感じることが与えられました。それゆえ、その後、意志の中に何らかの悪が、または思考の中に何らかの虚偽がやって来ると直ぐに、私はそれがどこからか調べました。私に明かされたことですが、彼らと話し、彼らを叱責し、引き下がるように追い立て、またこのように彼らが自分の悪と虚偽を引っ込め、自分自身のもとにおしとどめられ、このように私の思考に何かをもはや注ぎ込まないことも与えられました。
このことは千回も引き起こされ、この状態の中に、私は今まで、多くの年月の間とどまってきました、今なおその中にとどまっています――それでも、私は、他の者のように何らの相違もなく、私には、私自身から考え、意志しているように見えます。というのは、それぞれの者にそのように見られるのは、前の節の中に示されているように、主の摂理であるからです。
新参者の霊たちは、私が考え、私が欲するものは何もなく、それゆえ、私がある種の空虚なもののようであるとしか見えないので、私のこの状態に驚きます。けれども、私は彼らにアルカナを明らかにし、さらにまた、私は内的にも考え、私の外的な思考の中に何が流入するか、天界からなのかあるいは地獄からなのか知覚し、後者を追い払い、前者を受け入れています、それでも私は彼らのように、私から考え、意志すると見られることを明らかにしました。