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神の摂理 305

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305 私は、自分たちのいのち(生活)の運命が自分たちの愛の情愛にしたがっていたことを知らなかった、という世から〔霊たちの世界に〕到着した多くの者の不平を聞きました。「世の中で、それらについて、ましてそれらの快さについて考えなかった、自分たちに快かったのでそれを愛したからである。また、それぞれの運命は知性からの思考に、特に敬虔また信仰からの思考にしたがっていると単に信じたからである」と言っていました。
しかし、彼らに答えられました。「いのち(生活)の悪は天界で不愉快なもの、神に不快であり、そして地獄で楽しく、悪魔に快いものであること、また逆に、いのち(生活)の善は天界で楽しく、神に快いものであり、地獄で不愉快なもの、悪魔に不快なものであり、ここからもまた、悪は本質的に悪臭を放ち、善は本質的に香ることを、もし欲したなら知ることができたのであり、そのことを欲するなら知ることができたとき――なぜ、悪を地獄のものと悪魔のもののように避けなかったのですか?ただ快かったからという一つの理由からそれらに賛同したのですか?」
「また、今や、悪の快さはこのように忌まわしく悪臭を放つことを知ったので、さらにまた、このように〔悪臭に〕満ちている者は天界にやって来れないことを知ることができます」。
この答えの後、彼らは同じような快さの中にいた者のところへ行きました。そこでなければ呼吸することができなかったからです。