神の摂理 313
313 プロプリウムの思慮分別の中にいる者がどんなものであるか、プロプリウムでない思慮分別の中にいる者、ここから神的な摂理の中にいる者がどんなものであるかが、みことばの中で、エデンの庭園の中のアダムとその妻エバによって、そこに一つは「いのちの木」、もう一つは「善悪の知識の木」の二つの木があって、この木から彼らが食べることによって描かれています。
アダムとその妻エバによって内なるまたは霊的な意味で、この地上の主の最古代教会が意味され、描かれており、続く教会よりも高貴で、天的であったことが前に見られます(241番)。
[2]その他のものによって意味されるものは次のものです。「エデンの園」によってその教会の人間の知恵、「いのちの木」によって神的な摂理に関する主、「知識の木」によってプロプリウムの思慮分別に関する人間が意味されます。「蛇」によって人間の感覚的なものとプロプリウムが意味され、それは本質的に自己愛とプロプリウムの知性の高慢であり、そのように悪魔とサタンです。「知識の木から食べること」によって、善と真理を自分のものとすること、これらが主からでなく、ここから主のものでなく、しかし、人間から、ここから人間のものであることが意味されます。
善と真理は人間のもとの神性そのものであるので、というのは、善によって愛のすべてのもの、真理によって知恵のすべてのものが意味されるから、それゆえ、人間がそれらを自分のものとして要求するなら、〔自分が〕神のようであるとしか信じることができません。それゆえ、蛇は言いました、
あなたがそれを食べるその日に、あなたの目は開かれ、あなたは善と悪を知る神のようになります(創世記3:5)。
このように、自己愛とここからプロプリウムの知性の高慢の中にいる者は地獄の中で振る舞います。
[3]「蛇の断罪」によって愛のプロプリウムと知性のプロプリウムの断罪が意味され、「エバの断罪」によって意志のプロプリウムの断罪、「アダムの断罪」によって理解力のプロプリウムの断罪、「いばらとあざみ」によって、その地で彼に芽生えてくる虚偽と悪そのものが意味されます。「園から追い出すこと」によって、知恵の剥奪が意味されます。「いのちの木への道を守ること」によって、みことばと教会の聖なるものが害されないようにとの主の保護、編み合わせた「いちじくの葉」によって、裸であること、彼らの愛と高慢が隠され道徳的な真理が意味されます。その後に着せられた「皮の衣」によって、真理の外観の中にだけいることが意味されます。
これがそれらの霊的な意味です。
しかし、文字どおりの意味の中にとどまることを欲する者は、ただそれらは天界の中でそのように理解されることだけを知っておけばよいでしょう。