神の摂理 320
320 (4)人間が、すべての善と真理は主からであり、すべての悪と虚偽は地獄からであることを〝真理〟であると信じていたなら、自分自身に善を帰さず、その善を功績ともせず、自分自身に悪も帰さず、自分自身がそのことを行なうこともなかった
しかし、このことは知恵と思慮が人間からであるという外観を自分自身のもとに確信した者の信念に反し、彼らの心の組織の状態にしたがって流入しないので(そのことについては直前の319番)――それゆえ、明確になるように、次の順序の中で論証しなければなりません――
(1) 知恵と思慮分別が人間から存在し、ここから彼らの中に自分のものであるとの外観を自分自身のもとに確信する者は、そうでなければ〔人間は〕人間ではなく、獣あるいは彫像としか見ることができないが、そのとき、それでも正反対である。
(2) すべての善と真理は主から、すべての悪と虚偽は地獄からであることを真理であると信じ、考えることは不可能のように見えるが、それでもなお、そのことは真の人間性であり、ここから天使のものである。
(3) そのように信じ、考えることは、主の神性を認めない者に、悪が罪であることを認めない者に不可能である、しかし、それら二つを認める者に可能である。
(4) これら二つものの承認の中にいる者は、自分自身のもとの悪だけを考慮し、それらを罪として避け、退けるかぎり、その悪を自分自身からもとの地獄へ押し戻す。
(5) このように神的な摂理は、ある者に悪を、善もまた、自分のものにさせない、しかし、プロプリウムの思慮分別がその両方のものを自分のものにする。