神の摂理 325
325 (2)それゆえ、それぞれの人間は救われることができ、神を認め、善く生きる者が救われることは神的な摂理からである
それぞれの人間が救われることができることは、前のところで示されたことから明らかです。ある者は、主はキリスト教世界の中にだけ知られ、そこにだけみことばがあるので、主の教会はキリスト教世界の中だけにあると考えます――しかしそれでも、その者は、主の教会は普遍的であることを信ずる多くの者がいます、すなわち、主を知らない者、みことばを持たない者のもとにもまた、全地を通して広がり、散らばったことであり、「このことは彼らの責任ではない、彼らに不可抗的な無知がある、ある者が地獄に生まれていること、そのときそれでも等しく人間であるのは神の愛と慈悲に反している」と言っています。
[2]そこで、キリスト教徒に、すべての者でなくそれでも多くの者に、普遍的な教会が存在するという信仰があるので、それは「普遍的なもの」ともまた呼ばれ、すべての宗教に入り、その普遍的なものをつくっています、最も普遍的な教会が存在するということになります。
それらの最も普遍的なものとは神の承認と生活(いのち)の善であることが、次の順序で見られます。
(1)神の承認は人間と神の結合を、神と人間の結合をつくること、神の否定は分離をつくる。
(2)それぞれの者は、自分の生活(いのち)の善にしたがって、神を認め、その方に結合される。
(3)生活(いのち)の善、すなわち、善く生きることは、宗教に反し、このように神に反することであるからと悪を避けることである。
(4)これらはすべての宗教の普遍的なものであって、それらによってそれぞれの人間は救われることができる。