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神の摂理 332

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332 (1)人間の救いのための神的な摂理の働きは、彼の出生から始まり、そしてその生涯の終わりまでも、またその後、永遠に続く
人類からの天界が全世界の創造の目的そのものであること、その目的はその働きと前進の中に人間の救いへの神的な摂理があることであり、そのことが、前に示されています。人間の外にあるすべてのものは、創造の2次の目的の役立ちのために仕えるものです――要するに、動物・植物・鉱物の3界にあるすべてのものに関係するものです。
そこに創造の最初に確定された神的な秩序の法則にしたがって、絶えず進むとき、人類の救いである最初の目的が、神的な摂理の法則であるご自分の秩序の法則にしたがって、絶えず進みませんか?
[2]果樹だけを眺めてみなさい。それは最初に小さい種から、柔らかい芽として生まれ、またその後、引き続いて幹に生長し、枝を広げ、これらは葉でおおわれ、その後、花を出し、実を準備し、その中に新しい種を置き、その種によって自分の永続に備えませんか?
同様のものがすべての灌木に、すべての野の草本に生じます。
これらすべてと個々のものの中に、絶えず、驚異的に、自分の秩序の法則にしたがって目的から目的へと進みませんか?
人類からの天界である最初の目的と何か同様なものがありませんか?
神的な摂理の法則にしたがって進む何らかのものが必ずやその前進の中に存在するのではありませんか?
[3]人間の生涯に木の生長との対応があるので、並行または比較があります――比較によって、人間の幼児期は、地の種から芽を出す柔らかい木の芽のようです。人間の少年期と青年期は幹と小枝の中で生長するその芽のようです――すべての人間が最初に教えられる自然的な真理は、それらの枝におおわれる葉のようです(みことばの中で「葉」は他のものを意味しません)。善と真理の結婚、すなわち、霊的な結婚の中での人間の最初の段階は、春の時に生ずる木の花のようです。霊的な真理はその花の花弁です。霊的な結婚の初期の段階のものは、実の始まりのようです。仁愛の善である霊的な善は、実に似ており、みことばの中の「実」によってもまた意味されています。愛からの知恵の産出は、種のようであり、その産出によって人間は庭園と楽園のようになります。
みことばの中でもまた人間は木によって、そして愛からの彼の知恵は庭園によって述べられています。「エデンの園」によって、他のものは意味されません。
[4]人間は確かに種から悪い木ですが、しかしそれでも、いのちの木から取られた枝からの接ぎ木または接ぎ穂が与えられ、それによって古い根から汲み出された汁は善い実を結ぶ汁に変えられます。
この比較は、このように神的な摂理が不変に前進し、木の生長と再生産があるとき、人間の改心と再生がすべてのものの中で不変に進むことが知られるためにされました。主の次のことばにしたがって、人間は木よりもさらにまさっています、

五つのスズメが二アサリオンで売られていませんか?それでもなお、それらから一つが神の前に忘れられていません。けれども、あなたがたの頭の髪もまたすべて数えられています、それゆえ、恐れてはなりません、あなたがたは多くのスズメにまさります。……さらにだれがあなたがたの心配から、自分の背丈に1キュービットをあてがうことができますか。それゆえ、あなたがたが最小のことすらできないなら、なぜ、他のことについて、あなたがたは心配するのですか?ユリに注目しなさい、どのように生長しますか。……今日ある野の中の草が、明日は、かまどの中に投げ込まれるにしても、神はこのように服を着せるなら、あなたがたにどれほど〔のものを〕着せませんか、ああ、信仰の足りない者よ(ルカ12:6, 7, 25-28)。