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聖書について6

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6 主から、天的なもの霊的なもの自然的なものが、あるものの後ろにもう一つのものと発出しています。

主の神的愛から発出するものは天的なものと言われ、それは神的善です――主の神的知恵から発出するものは霊的なものと言われ、それは神的真理です――両方のものから発出するものが自然的なものであり、それは最後のものの中でそれらの複合体です。

第三の天界すなわち最高の天界を構成している主の天的な王国の天使は、天的と呼ばれる主から発出する神性の中にいます。なぜなら、主からの愛の善の中にいるからです――第二の天界すなわち中間の天界を構成している主の霊的な王国の天使は、霊的と呼ばれる主から発出する神性の中にいます。なぜなら、主からの知恵の真理の中にいるからです(*)――けれども、世の教会の人間は、自然的な神性の中にいます、その神性も主から発出しています。

これらから、主からご自分の最後のものまで発出している神性は、三つの段階を通って下り、それらは天的・霊的・自然的と名づけられていることがいえます。

主から人間にまで下る神性は、それらの三つの段階を通って下ります。下ったとき、それらの三つの段階を本質的に含んでいます――すべての神性はこのようなものです。それゆえ、その最後の段階の中にある時、それは満ちています。

みことばは、このようなものです。

これは、その最終的な意味では自然的であり、内的な意味では霊的であり、そして最内部の意味では天的であり、それぞれの意味に神的なものがあります。

みことばがこのようなものであることは、自然的なものであるその文字どおりの意味の中に見られません。その理由は、世の人間が天界についてこれまで何も知らず、ここから、何が霊的なものか、また何が天的なものか、したがってそれらのものと自然的なものの間の相違も知らなかったからです。

 

*脚注 一つは天的な王国と呼ばれ、もう一つは霊的な王国と呼ばれる二つの王国があり、それらから天界が構成されることは、著作『天界と地獄』20―28番を見てください。〔著者自身による脚注です〕