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聖書について9

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9  (2) 霊的な意味は、みことばの中のすべてと個々のものの中にある――このことは、次のいくつかの例からよくわかるでしょう。
ヨハネは「黙示録」の中で言っています、

私は開かれた天を見た。そのとき見よ、白い馬。その上に乗る方は忠実と真実と呼ばれ、公正のうちに裁き、戦われる。その目は……火の炎、そしてその頭の上に多くの王冠。その方以外にだれも知らない名前が書かれていた。血に染まった衣を着ていて、その方の名前は神のみことばと呼ばれる。天の中の軍隊が白い馬に乗り、白い清潔な亜麻布を着て、その方に従った。……衣の上に、ももの上に「王の王、主の主」の名前が書かれていた。さらに私は、ひとりの天使が太陽の中に立っているのを見た。その者は大きな声で叫んだ、「……来い、大きな晩餐会に、王の肉、千人隊長の肉、力ある者の肉、馬とその上に乗る者の肉、すべての自由人と奴隷の肉、小さい者と大きい者の肉を食べるために集まれ」(19・11―18)。

これらが何を意味するのか、みことばの霊的な意味からでないなら、だれも見ることができません。また対応の知識からでないなら、だれも霊的な意味を見ることができません。なぜなら、すべての言葉は対応しており、そこに空虚な言葉は何もないからです。
対応の知識により、「白い馬」が何を意味するのか、「その上に乗る方」、火の炎のような「目」、頭の上の「王冠」、「血に染まった衣」、天のその方の軍隊が着た「白い亜麻布」、「太陽の中に立つ天使」、来て、集まる「大きな晩餐会」、さらに食べる「王の肉」、「千人隊長の肉」や他の多くのものが何を意味するのか、教えられます。
けれども、個々のものが霊的な意味で何を意味するのか、小著『白い馬について』の中に見られ、そこに説明されています。それゆえ、それらをさらに説明することは、ここでは省きます。
その小著の中に、みことばに関する主が述べられており、そのことが示されています。火の炎のような「その方の目」によって、頭の上の「王冠」によって、その方以外にだれも知らないような「名前」によって、みことばの霊的な意味が意味され、主ご自身、それと主がそれを啓示することを欲せられる者以外に、だれもそれを知らないことが意味されます。なおまた「血に染まった衣」によって、みことばの文字どおりの意味である自然的な意味と、それに暴力が加えられたことが意味されます。このように述べられているものが、みことばであることは、はっきりと明らかです。なぜなら、「その名前は神のみことばと呼ばれる」と言われているからです。また、そこに主が意味されていることもはっきりと明らかです。なぜなら、馬の上に乗られる方の名前が「王の王、主の主」と書かれていたと言われているからです。
教会の終わりに、みことばの霊的な意味が開かれなくてならないことは、ここで言われている馬やその上に乗る方によってだけでなく、太陽の中に立つ天使によって、王・千人隊長・力ある者・馬の、その上に乗る者の、すべての自由人と奴隷の肉を食べに来るよう、すべての者が招待されている「大きな晩餐会」によっても意味されます。
すべてのこれらの表現は、身体の中の霊魂のように霊的なものがそれらの中に内在しないなら、空虚な言葉、いのちと霊のない言葉になります。