聖書について12
12 「黙示録」第6章で言われています、
小羊が書物の最初の封印を開いたとき、白い馬が出てきて、その上に乗る者は弓を持ち、その者に王冠が与えられた。第二の封印を開いたとき、赤い馬が出てきて、その上に乗る者に大きな剣が与えられた。第三の封印を開いたとき、黒い馬が出てきて、その上に乗る者は手に秤(はかり)を握っていた。第四の封印を開いたとき、青ざめた馬が出てきて、その上に乗る者に死があった。[(1―5, 7, 8節)]
これらが何を意味するかは、霊的な意味によってだけ説明されることができます。「封印を開くこと」が何を意味し、「馬」が何を、その他のものが何を意味するか知られる時、完全に説明されます。
それらによって、みことばの理解に関して、教会の継続的な状態が始めからその最後まで記述されています――「小羊が巻き物の封印を開くこと」によって、主により教会の状態が明らかにされることが意味されます。「馬」によって、みことばの理解が意味され、「白い馬」によって、教会の最初の状態の中での、みことばからの真理の理解が、その馬の上に乗る者の「弓」によって、虚偽に対して戦う仁愛と信仰の教えが、「王冠」によって、永遠のいのち、勝利の報酬が意味されます。
[2] 「赤い馬」によって、教会の第二の状態の中での善に関して失われたみことばの理解が意味され、「大きな剣」によって、真理に対して戦う虚偽が意味されます――「黒い馬」によって、教会の第三の状態の中での真理に関して失われたみことばの理解が意味され、「秤(はかり)」によって、ほとんど何ものでもないほどに少ない真理に対する評価が意味されます――「青ざめた馬」によって、第四の状態すなわち教会の最後の状態の中での、生活の悪とそこからの虚偽から無とされた、みことばの理解が意味され、「死」によって永遠の断罪が意味されます。
霊的な意味では、それらによってこのようなものが意味されることは、文字どおりの意味ではすなわち自然的な意味では見られません。それゆえ、霊的な意味が一度でも開かれないなら、「黙示録」のこのことやまた他ものに関して、その中に神的な聖なるものが隠れていることをついに何も知らないほどに、閉ざされてしまったでしょう。
「ゼカリヤ書」(6・1―8)の「青銅の二つの山の間から出てきた四つの戦車」や「四つの馬」よって意味されることも同じです。