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聖書について13

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13「黙示録」第9章にあります、

第五の天使がラッパを吹いた。すると、私は天から星が地上に落ちるのを見た。その星に深淵の穴のかぎが与えられた。深淵の穴を開くと、穴から大きな炉の煙のような煙が上がった。太陽と空気は穴の煙から暗くなった。また、煙から地上に、いなごが出てきた。彼らに地のさそりの持つような力が与えられた。……いなごの形は戦いに備えた馬に似ていた。彼らの頭の上に金に似た王冠のようなものがあり、彼らの顔は人間の顔のようであった。また女の髪のような髪を持ち、歯はししの歯のようであった。また、鉄の胸当てのような胸当てを着け、その羽の音は多くの……戦いに馳せつける戦車の音のようであった――また、さそりのような尾を持ち、尾に針があり、その尾には人間を五カ月間害う力があった。自分たちに王を、深淵の御使いを持ち、その名前はへブル語でアバドン、ギリシア語でアポリュオンの名前であった(1―3, 7―11節)。

これらも、霊的な意味が啓示されていないなら、何も理解されません。なぜなら、そこに何も無意味に言われていないで、すべてのものは、個々のものに関して意味をもっているからです。
そこには、みことばからの真理のすべての認識が失われ、ここから感覚的になった人間が、自分自身に虚偽が真理であると説きつけている時の教会について扱われています。
[2] 「天から落ちた星」によって、失われた真理の認識が意味されます。「暗くなった太陽と空気」によって、暗黒となった真理の光が意味されます。その穴の煙から出てきた「いなご」によって、感覚的になり、すべてのものを〔感覚の〕欺きから見て、判断する者たちにあるような最外部の中の虚偽が意味されます。「さそり」によって、彼らの間違った信念が意味されます――いなごが「戦いに備えた馬のように」見られたことは、真理を理解しているかのような彼らの誤った推論を意味します――いなごに「頭の上に金に似た王冠」があったこと、また「彼らの顔は人間の顔のようであった」ことは、自分自身が勝利者と知恵ある者に見えたことを意味します。彼らの「女の髪のような髪」は、自分自身には真理の情愛の中にいるかのように見えたことを意味します。彼らの「ししのような歯」は、人間の自然的な最外部のものである感覚的なものが、彼らにはすべてにまさった力であるように見えたことを意味します――
[3] 彼らの「鉄の胸当てのような胸当て」は、〔感覚の〕欺きからの論証を意味し、それによって戦い、力があるのです――彼らの「戦いに馳せつける戦車の音のような羽の音」は、みことばからの教えの真理からかのような誤った推論を意味し、それの推論から真理と戦おうとします。彼らの「さそりのような尾」は、信念を意味します。彼らの「尾の中の針」は、それによって欺く策略を意味します――その針の「人間を五カ月間害う力」は、真理の理解力と善の知覚の中にいる者を何らかの麻痺の中に導くことを意味します――自分たちの上に「アバドンまたはアポリュオンの名前の王、深淵の御使い」を持っていたことは、彼らの虚偽は地獄からであったことを意味し、そこには単なる自然的な者、また自己知性の中にいる者がいます。
[4] これが、それらのことばの霊的な意味であり、そこからは文字どおりの意味の中に何も現われていません。
「黙示録」の中のどこでも同様です。
霊的な意味の中では、すべてのものは連続する結びつきの中で密接に関連しており、その意味を構成するために、文字どおりの意味すなわち自然的な意味の中のそれぞれの言葉が貢献していることを知らなくてはなりません――それゆえ、小辞〔であっても、それ〕が取り去られるなら、結びつきは破られ、関係は失われます。それで、そのことが行なわれないように、この預言書の終わりに加えられています、

ことばは取り除かれてはならない(黙示録22・19)。

旧約聖書の預言者たちの書物も同様です。そこから何かが取り去られないように、主の神的摂理から、それらの中の個々のものが文字の数までも数えられ、このことはマソラ学者により行なわれました。