聖書について84
84 みことばの中に、同じことの繰り返しのように見られる二つの表現があることは、それに注意して読む者たちにより、見ることができます。例えば、兄弟と仲間・貧しいと乏しい・荒廃と荒野・空っぽと虚しさ・敵と敵対者・罪と不正・怒りと憤り・国民と人民・楽しさと喜び・嘆きと泣くこと・義と審判などです。これらは同義語のように見えますが、それでもやはり同義語ではありません。なぜなら、兄弟・貧しい・荒廃・空っぽ・敵・罪・怒り・国民・楽しさ・嘆き・義は善について、また正反対の意味で悪について述べられます、しかし、仲間・乏しい・荒野・虚しさ・敵対者・不正・憤り・人民・喜び・泣くこと・審判は真理について、また正反対の意味で虚偽について述べられるからです――それでもこの秘義を知らないで読む者には、貧しいと乏しい・荒廃と荒野・空っぽと虚しさ・敵と敵対者は一つの事柄であるものに見られ、罪と不正・怒りと憤り・国民と人民・楽しさと喜び・嘆きと泣くこと・義と審判も同様です。それでも一つの事柄でありません、しかし結合によって一つの事柄となっています。
さらにまた、みことば中に多くのものが結合されています。例えば、火と炎・金と銀・銅と鉄・木と石・パンと水・パンとぶどう酒・紫色(の服)と亜麻布(の服)などです。またこのことは、火・金・銅・木・パン・紫色(の服)が善を意味し、そして炎・銀・鉄・石・水・ぶどう酒・亜麻布(の服)が真理を意味するからです――同様に、「すべての心から、またすべての霊魂から」神を愛さなければならないこと、さらに神は人間の中に「新しい心と新しい霊」を創造されたことが言われています。というのは、心は愛の善について、霊魂はその善からの真理について述べられるからです。
さらにまた、他のものとの連結なしに単独で言われる言葉もあります、善と同じく真理の両方のものについて関係するからです。しかしこれらは、また他の多くのものは、天使の前でないなら、また自然的な意味の中にいる時、霊的な意味の中にもまたいる者たちの前でないなら、現われません。