聖書について86
86 同じ事柄のような繰り返しが、善と真理の結婚ために、みことばの中にあることは、「国民(国)と人民(民)」が言われている箇所から明らかに見ることができます。
例えば、これらの中に――
わざわいだ、罪を犯す国、不法の重い民(イザヤ1・4)。
暗やみの中を歩いている民は大きな光を見た……あなたは国民を増やされた(イザヤ9・2, 3)。
アッシリヤ、わたしの怒りの杖。……わたしはこれを偽善の国民に送る、わたしの激しい憤りの民に対してわたしはそれを与える(イザヤ10・5, 6)。
その日に生じる。エッサイの根は、民の旗として立ち……国民は求める(イザヤ11・10)。
エホバは「民を……癒されることのできない災害で打ち、怒りとともに国民を支配される(イザヤ14・6)。
その日に、万軍の主に贈り物が、散らされたまた剃髪にされた民、……測られて、踏みにじられた国民からもたらされる(イザヤ18・7)。
力強い民はあなたを尊ぶ、力のある国民の都はあなたを恐れる(イザヤ25・3)。
エホバは「……すべての民の上の包みを……すべての国民の上のおおいを、のみ込まれる」(イザヤ25・7)。
国民よ、近づけ……民よ、聞け(イザヤ34・1)。
わたしはあなたを呼んだ……民を契約の中に、国民を光の中に(イザヤ42・6)。
すべての国民は一つに集められ、民は集まる(イザヤ43・9)。
見よ、わたしは国民に向かってわたしの手を、民に向けて……わたしの旗を上げる(イザヤ49・22)。
わたしはその方を証人として民に、指導者と立法者として国民に与えた(イザヤ55・4, 5)。
見よ、民が北の地から来る。大きな国民が……地の果てから(エレミヤ6・22)。
わたしはあなたに国民の中傷をもはや聞かせない、民のそしりをもはやあなたは受けない(エゼキエル36・15)。
すべての民と国民がその方を礼拝する(ダニエル7・14)。
国民について物笑いにしないように、民の中で「彼らの神はどこに?」と言わないように(ヨエル2・17)。
わたしの民の残りの者がそれらを略奪する、わたしの国民の残余が彼らを相続する(ゼパニヤ2・9)。
多くの民がやって来る、多数の国民がエルサレムで万軍のエホバを求めるために(ゼカリヤ8・22)。
私の目はあなたの救いを見ます、それはすべての民の顔の前に備えられたもの、国民(異邦人)の啓示の光です(ルカ2・30―32)。
あなたは……私たちをあなたの血で、すべての……民族と国民から、あがなわれた(黙示録5・9)。
あなたは再び民族と国民について預言しなければならない(黙示録10・11)。
あなたは私を国民の頭に置く。私の知らない民が私に仕える(詩篇18・43)。
エホバは国民の計画をむだに戻し、民の考えをひっくり返される(詩篇33・10)。
あなたは私たちを国民の中で物笑いに、民の間で頭の揺れ動く者にされる(詩篇44・14)。
エホバは「民を私たちの下に、国民を私たちの足の下に従わせられる。……エホバは国民の上に支配された。……民の有志たちは集められた」(詩篇47・3, 8, 9)。
あなたを民は称賛する。国民は喜び、歓呼する。あなたが民を正直にさばき、国民を地で導かれることから(詩篇67・3, 4)。
私を覚えてください、エホバ、あなたの民をお気に入りとして。……私があなたの国民の楽しさとして喜ぶように(詩篇106・4, 5)。 (その他の箇所に)。
国民とまた同時に人民が言われているのは、「国民」によって善の中にいる者が、また正反対の意味で悪の中にいる者が意味されるからです。また「人民」によって真理の中にいる者が、また正反対の意味で虚偽の中にいる者が意味されるからです――それゆえ、主の霊的な王国の中にいる者は人民と呼ばれ、主の天的な王国の中にいる者は国民と呼ばれます。なぜなら、霊的な王国の中にいるすべての者は真理の中に、またここから知恵の中にいます、けれども、天的な王国の中にいるすべての者は善の中に、またここから愛の中にいるからです。