聖書について95
95 文字どおりの意味の中の多くのものは、それらの中に本物の真理が隠れている真理の外観であること、また〔このような〕真理にしたがって考えることと話すことは断罪されないこと、しかし内部に隠れている本物の真理を破壊するまでもそれらを確信することは断罪されることは、自然の中の例によってもまた説明されることができます。自然的なものは霊的なものよりもはっきりと教え、説きつけるので、それらを示します。
[2] 目の前に、太陽は日ごとに、また毎年一回、地球の周りを動き回るように見えます。ここから、みことばの中で、太陽が昇り、沈むこと、そして朝・昼・夕・夜を、春・夏・秋・冬の期間を、このように日々と年々をつくることが言われています。そのとき、それでも太陽は不動のままです、というのは、火の大海であり、地球は毎日、自転し、毎年、公転するからです。
単純さと無知から、回転する、すなわち、地球は毎日、軸のまわりを回転し、毎年、黄道にしたがって運ばれると考える人間は、自然的な真理を破壊しません。
しかし、みことばによってまた自然的な人からの推論によって、太陽の運動と進路の外観を確信する者は、真理を弱め、破壊もします。
[3] 太陽が動くことは外観上の真理であり、動かないことは本物の真理です。
だれもが外観的な真理にしたがって話すことができ、話してもいます。しかし確信からそれにしたがって考えることは、理性的な理解力を鈍くし、暗くします。
星空の星も同様です――それらもまた毎日一回、太陽のように回転することは外観的な真理です。それゆえ、星についてもまた、昇り、沈む、と言われます。しかし星は不動であり、それらの天が動いていないことは本物の真理です。
しかしそれでも、だれでも外観にしたがって話すことができます。