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聖書について112

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112 この教会の終わりにもまた、主が天と地の神であられるという主についての認識と承認がなく、仁愛からの信仰の分離から、暗やみが生じることが予言されているので、そのことから、みことばの真の理解が滅びないように、それゆえ、今や、みことばの霊的な意味を啓示すること、みことばはその意味の中で、そこから自然的な意味の中で、主と教会について、それどころか、それらだけについて扱っていることを、また他の多くのことを明らかにすることが主の喜びでした。それらによって、ほとんど消されたみことばからの真理の光がもとに戻されました。
真理の光は、この教会の終わりにほとんど消えるであろうことは「黙示録」の中の多くの箇所の中に予言されています。そしてまた、「マタイ福音書」に、次の主のことばによって意味されています――

 その日の苦難の後すぐに、太陽は暗くされ、月はその光を与えず、星は天から落ち、天の力はゆり動かされます。その時……人の子が栄光と力をもって天の雲の中に来るのを見ます(マタイ24・29, 30)。

そこの「太陽」によって愛に関する主が意味され、「」によって信仰に関する主、「」によって善と真理の認識に関する主、「人の子」によってみことばに関する主、「」によってみことばの文字どおりの意味、「栄光」によって霊的な意味、そして文字どおりの意味の中へその輝き貫くことが意味されています。