カテゴリー

天界と地獄 8

7◀︎目次▶︎9

8 天界の中のだれもが、〝自分自身から欲し、行なう善は何もない。自分自身から考え、信じる真理も何もない。善と真理は神性からのもの、そのように主からのものである。自分自身からの善と真理には神性からのいのちが内在しないので善と真理ではない〟と知り、信じており、それどころか知覚しています。
最内部の天界の天使もまた、流入を明らかに知覚し、感じています。その流入とは、受け入れれば受け入れるほど自分が天界の中にいると思える流入です。なぜなら、受け入れるほど、愛と信仰の中に、知性と知恵の光の中に、ここから天界の楽しさの中にいるからです——それらすべては主の神性から発出し、天界の天使はそれらの中にいるので、主の神性が天界をつくるのであって、天使が何らかの自分のプロプリウム(固有のもの)からつくるのではないことが明らかです(*1)
ここから、みことばの中で、天界は「主の住まい」そして「その方の御座」と言われます。また、天界の中にいる者は主の中に存在すると言われます(*2)
けれども、どのように主から神性が発出し、天界を満たすかは、あとで述べます。


*1 天界の天使は、すべての善が主から存在し、自分自身からは何もないことを、また主が自分たちのもとのご自分のものの中に住まわれ、自分たちのプロプリウム(固有のものの)中には住まわれないことを認めている(9338, 10125, 10151, 10157)。
それゆえ、みことばの中では、天使によって主の何らかのものが意味される(1925, 2821, 3093, 4085, 8192, 10528)。
またそれゆえ、天使は、主からの神性を受け入れることから神々と呼ばれる(4295, 4402, 7268, 7873, 8301, 8192)。
さらにまた、善であるすべての善は、そして真理であるすべての真理は、したがってすべての平和・愛・仁愛・信仰は主から存在する(1614, 2016, 2751, 2882-2883, 2891-2892, 2904)。
また、すべての知恵と知性〔も〕(109, 112, 121, 124)。
*2 天界の中にいる者は、主の中にいると言われる(3637-3638)。