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天界と地獄 18

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18  主の神性が天界の中で愛であることは、愛が、天界のすべてのものである平和・知性・知恵・幸福の容器であるからです。愛はそれ自体に適合するすべてと個々のものを受け入れ、それらを望み、それらを探し求め、自発的であるかのようにそれらに浸透しますが、それは、愛が絶えずそれらにより豊かにされ、完全にされることを欲するからです(*8)――このことは人間にもまた知られています。なぜなら、人間のもとにある愛は、記憶の事柄からその愛に一致するすべてのものを、いわば調べ、汲み取り、集め、その愛の中とその愛の下に配置するからです。〝その中〟とは愛であるように、〝その下〟とは愛に仕えるようにということです。しかし、愛と一致しない他のものは、退け、追い払います。
愛には、愛それ自体に適合する真理を受け入れる能力と、その真理をそれ自体に結合させる願望が内在します。このことは、天界に上げられた者によってもまた極めて明らかとなりました。世では単純な者でしたが、天使の間に来たとき、それでも天使の知恵の中に、天界の幸福の中に入れられました――その理由は、善と真理を善と真理のために愛し、それらを自分のいのちに植え付け、そのことによって、言葉にできないような天界のすべてのものとともに、その天界を受け入れる能力を得たからでした。
けれども、自己愛と世俗愛の中にいる者は、それらを受け入れる能力がなく、それらを顧みず、それらを退け、それらが接触し、流入するとすぐさま逃げ去り、彼らの愛に似た愛の中にいる地獄の者と交際します。
天界的な愛にそのようなものが内在することを疑い、そうであるのか知ることを望んだ霊がいました。それゆえ、天界的な愛の状態へ入れられ、その間、妨げとなるものは遠ざけられて、遠く隔てた前方の天使の天界へ運ばれ、そこから私と語りました。彼らは、「言葉で表現することのできない内的な幸福を感じており、以前の状態に戻ることを大いに悲しんでいる」と言いました。
他の者もまた天界に上げられ、彼らは、内部にまたは高みに上げられるようにして、知性と知恵の中に引き入れられ、以前には彼らに理解できなかったような知性と知恵を知覚しました。
ここから、主から発出する愛が天界とそこのすべてのものの容器であることが明らかです。


*8 愛に無数のものが内在し、愛はそれ自体に一致するすべてのものを受け入れる(2500, 2572, 3078, 3189, 6323, 7490, 7750)。