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天界と地獄 64

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64  人間の中の全部のいろいろなものが一つとして働くことは、そこには、共通の事柄に対して何も行なわないもの、役立ちを果たさないものは何もないからです。共通なものはその部分のために役立ちを実行し、部分は共通なものの役立ちを果たします、なぜなら、共通なものは部分から構成され、部分は共通なものを構成し、それゆえ、相互に供給し、互いに眺め合い、すべてと個々のものが共通なものとその善に関係するような形に結合されるからです。ここから、一つとして働いています。
[2]天界の中の交わりもこれと似ています。天界では役立ちにしたがって、似た形となって結合されています。それゆえ、共同体の善を果たさない者は、異質であるとして天界から追い出されます。
役立ちを果たす者は、公共(共通)の善のために、他の者によいようにと欲する者であり、役立ちを果たさない者は、公共(共通)の善のためではなく自分自身のために、他の者によいようにと欲する者です。後者はすべてのものにまさって自分自身を愛する者ですが、前者はすべてのものにまさって主を愛する者です――ここから、天界の中にいる者は一つとして働きますが、このことは自分自身からでなく主からです。彼らはその方を、すべてのもののもとである〝唯一のもの〟として、そしてその方の王国を、共同体のように、それに利益をはからなくてはならないものとして見ているからです。
このことが次の主のことばによって意味されます、

最初に神の国とその義を求めなさい。そうすれば……すべてのものがあなたがたに加えられます(マタイ 6:33)。

「その義を求めること」は、その善を求めることです(*3)
 [3]世で祖国の善を自分自身よりも愛し、隣人の善を自分自身のように愛した者は、来世で主の王国を愛し、求める者です、なぜなら、そこでは主の王国が祖国に代わるからです。自分自身のためでなく善のために、他の者に善を行なうことを愛する者は、隣人を愛します、なぜなら、そこでは善が隣人であるからです(*4)――このような者はすべて、〝最大の人〟の中に、すなわち、天界にいます。


*3  みことばの中では、義(正義・公正)は善について、審判は真理について言われ、ここから義と審判を行なうことは善と真理を行なうことである(2235, 9857)。
*4  主は最高の意味で隣人であり、ここから主を愛することは、その方からのものすべての中に、したがって善と真理の中に、その方がおられるので、その方からのものを愛することである(2425, 3419, 6706, 6711, 6819, 6823, 8123)。
ここから、主からのすべての善は隣人であり、その善を意志し、行なうことは隣人を愛することである(5028, 10336)。