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天界と地獄 74

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74  しかし、今、経験から述べます。
天使が人間の形または人間であることを私は千回も見ました――私は彼らと人間と人間のように、ある時はひとりと、またある時は交わりの中で多くの者と話し、彼らは形に関して人間と何も異なっていないのを見たからです。ときどき、私は天使がそのようなものであることに驚いたことがあります――私が感覚の欺きの中に、または幻覚の中にいたと言われないように、それらを見ることは、私が十分に目覚めた中で、すなわち身体のすべての感覚の中で、明らかな知覚の中にいたときに与えられました。
さらにまたしばしば、私は彼らに「キリスト教界の中の人間が、天使と霊について、彼らは形のない心であり、純粋な思考の存在であって、生命をもつエーテルである、といった観念しかもっていません。このようなものなので、天使と霊に人間の思考以外の何ものも属させないで、彼らは目がないので見ない、耳がないので聞かない、口と舌がないので話さないと信じています。このような盲目の無知の中にいます」と語りました。
[2]これについて天使は、「このような信仰が世の多くの者にあること、学者たちを支配していること、また驚くべきことに祭司たちをも支配していることを知っています」と語りました。
理由もまた言いました。「天使と霊についてそのような観念を最初に考え出した主唱者であった学者たちは、そのことについて外なる人の感覚的なものから考えました。また感覚的なものから考えて、内的な光から考えず、それぞれの者に生来のものである普遍的な観念から考えない者は、このようなものしか案出することができません。外なる人の感覚的なものは、自然の中にあるものしか感知せず、上方にあるのもの、このように霊界については決して何も感知しません(*6)――これらの指導者から、天使についての誤った考えが、自分自身から考えずに指導者の言うことから考える者へ伝わりました。最初に他人の考えから考えて、自分の信仰をつくり、その後で、自分の理解力でその信仰を熟考する者は、そこから抜け出すことがほとんどできません。それゆえ、極めて多くの者がそれらを確信して満足しています」。
 [3]さらに彼らは言いました。「信仰と心において単純な者は、天使についてそのような観念をもたず、天界にいる人間というような観念をもっています。その理由は、天界からの生来のものを学問によって自分のもとで消滅させておらず、形のないものを考えもしないからです――ここから、神殿の中の天使は、彫刻にしろ絵画にしろ、人間としてしか示されていません。
天界からの生来のものとは、信仰と生活の善の中にいる者のもとに流入する神性です」。


*6  人間は、外なる人の感覚的なものから高揚されないなら、少しも賢くない(5089)。
賢い人間は、それらの感覚的なものを超えて考える(5089, 5094)。
人間は、それら感覚的なものを超えて高揚されるとき、さらに明るい光の中に、ついには天界の光の中にやって来る(6183, 6313, 6315, 9407, 9730, 9922)。
これらの感覚的なものからの高揚と離脱は古代人に知られていた(6313)。