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天界と地獄 111

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111   植物界のものとも同様の対応があります。
庭園は全般的に知性と知恵に関して天界に対応し、それゆえ、天界は神の庭園や楽園と呼ばれ(*4)、人間からもまた天界の楽園と呼ばれています。
木はその種類にしたがって善と真理の知覚と知識に対応し、それらから知性と知恵がもたらされます。ここから、対応の知識の中にいた古代人は、自分たちの聖なる礼拝を杜の中で行ないました(*5)。またここから、みことばの中にはしばしば木の名前が挙げられ、天界・教会・人間がそれらの木に、例えば、ぶどうの木・オリーブの木・杉その他にたとえられ、行なう善は実にたとえられています。
木からの食べ物は、特に畑の穀物からの食べ物もまた、善と真理の情愛に対応します。その理由は、自然的なものが地の食べ物で養われるように、霊的ないのちがそれらの情愛により養われるからです(*6)
ここから、パンは全般的にすべての善の情愛に対応します、パンは他のものにまさっていのちを支え、パンによってすべての食べ物が意味されるからです――その対応ゆえに、主もまたご自分をいのちのパンと呼ばれました――そしてまたパンはイスラエル教会で聖なる役立ち〔礼拝〕に用いられました。というのは、幕屋の中の机の上に置かれ、供えのパンと呼ばれたからです――いけにえと全焼のいけにえによって行なわれた神的な礼拝のすべてもまたパンと呼ばれました。その対応ゆえに、キリスト教会の中の最も聖なるものである聖餐でもまたパンとぶどう酒が与えられます(*7)
これらのわずかなものから対応がどのようなものか明らかにすることができます。


*4 庭園と楽園は対応から知性と知恵を意味する(100, 108)。経験から(3220)。
対応するすべてのものは、みことばの中でもまた同じものを意味する(2896,  2987, 2989, 2990, 2991, 3002, 3225)。
*5 木は知覚と知識を意味する(103, 2163, 2682, 2722, 2972, 7692)。
それゆえ、古代人は神的礼拝を杜の中の木の下で、その対応にしたがって行なった(2722, 4552)。
植物界の主体の中への天界の流入について、例えば、木や植物の中へ(3648)。
*6 対応から、食べ物は霊的ないのちを養うようなものを意味する(3114, 4459, 4792, 4976, 5147, 5293, 5340, 5342, 5410, 5426, 5576, 5582, 5588, 5655, 5915, 6277, 8562, 9003)。
*7 パンは人間の霊的ないのちを養うすべての善を意味する(2165, 2177, 3478, 3735, 3813, 4211, 4217, 4735, 4976, 9323, 9545, 10686)。
幕屋の中の机の上に置かれたパンも同様のものを意味した(3478, 9545)。
いけにえは全般的にパンと言われた(2165)。
パンはすべての食べ物を含んだ(2165)。
このように、天的なまた霊的なすべての食べ物を意味する(276, 680, 2165, 2177, 3478, 6118, 8410)。