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天界と地獄 112

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112  対応によって世と天界がどのように結合するかもまた簡単に述べておきます。
主の王国は目的の王国であり、その目的は役立ちです、すなわち、同じことですが、役立ちの王国であり、その役立ちが目的です――それゆえ、全世界は、役立ちが行動の中または結果の中のどこにでも、最初に天界の中に、その後、世の中に、このように段階によって連続的に自然の最後のものの中にまで現われることができるように、神的なものから創造され、形作られています――ここから、霊的なものと自然的なものの対応は、すなわち天界と世の対応は、役立ちを通して存在し、それらを一つに結合することが明らかです。そして役立ちが着けている形は、役立ちの形であればあるほど、それだけ対応するものであり、それだけ結合するものです。
自然界の中で、その三つの界の中で、秩序にしたがって存在するようになるすべてのものは、役立ちの形です、すなわち、役立ちにより役立ちに向けて形作られた結果です。それゆえ、そこに存在するものは、対応するものです。
けれども、人間のもとでは、彼が神的な秩序にしたがって生きれば生きるほど、したがって主への愛と隣人に対する仁愛の中に生きれば生きるほど、それだけその行動は形の中の役立ちであり、またそれによって天界と結合される対応するものとなります――主と隣人を愛することは、役立ちを全般的に実行することです(*8)
さらに、人間は自然界と霊界を結合する存在であること、すなわち、結合の媒介であることを知らなくてはなりません。なぜなら、人間の中に自然界が存在し、霊界もまた存在するからです(前の57番参照)。それゆえ、人間が霊的であればあるほど、それだけ結合の媒介です。けれども、自然的であって、霊的でなければないほど、それだけ結合の媒介でなくなります――それで、人間の媒介がなくては、神的なものは世の中へ、続いて世から人間のもとにあるものの中へ、人間の理性の中へ、流入しません。


*8 すべての善は、その快さを役立ちから、また役立ちにしたがって、その性質もまた得ている。ここから、役立ちがどのようなものかによって、そのような善がある(3049, 4984, 7038)。
天使の生活は、愛と仁愛の善の中に、このように役立ちを果たすことの中にある(454)。
主からは、またここから天使からは、人間のもとの目的しか見られない、それは役立ちである(1317, 1645, 5854)。
主の王国は役立ちの王国、そのように、目的の王国である(454, 696, 1103, 3645, 4054, 7038)。
主に仕えることは役立ちを果たすことである(7038)。
人間の中のすべてと個々のものは役立ちへと形作られている(3626, 4104, 5189, 9297)。また役立ちから形作られている。このように役立ちが人間のもとに役立ちのもととなる有機的な形よりも先のものであるのは、役立ちが天界を通って主の流入から存在するからである(4223, 4926)。
人間の心に属すその内的なものもまた、成長するとき、役立ちからまた役立ちへと形作られる(1964, 6815, 9297)。
ここから、人間は彼のもとの役立ちがどのようなものであるかによって、そのようなものである(1568, 3570, 4054, 6571, 6934, 6938, 10284)。
役立ちは〔活動の〕そのための目的である(3565, 4054, 4104, 6815)。
役立ちは人間の最初のものと最後のものであり、そのように、すべてのものである(1964)。