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天界と地獄 57

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57  天界について言えるのと同様のことを教会について言うことができます、なぜなら、教会は地上の主の天界であるからです。
教会は多くありますが、それでもそれぞれが教会と呼ばれ、そこに愛と信仰の善が支配するかぎり教会です。さらにまた、主は天界でいろいろなものから一つのものをつくられるように、多くの教会から一つの教会をつくられます(*5)
全般的に教会について言えることは、教会の人間にも個別的に同様のことを言うことができます。すなわち、教会は人間の外でなく、内にあること、どんな人間も、その中に主が愛と信仰の善の中に現在されるなら、教会であることです(*6)
内に天界がある天使について言えるのと同様のことが、内に教会がある人間についても言えます、天使が最小の形の天界であるようにその人間が最小の形の教会であることです――そのうえさらに、内に教会がある人間は、天使と等しく、天界です。なぜなら、人間は天界に来て、天使となるように創造されているからです。それゆえ、彼は、主からの善をもつ天使人間〔天使的な人間〕です(*7)
人間は天使と共通に何をもつか、また天使にまさって何をもつか、記述することが許されています――人間が天使と共通にもつものは、その内的なものが等しく天界の映像に応じた形をしていること、また愛と信仰の善の中にいればいるほど天界の映像となることです。人間が天使にまさってもつものは、その外的なものが世の映像に応じて形作られていることです――善の中にいるほど、彼のもとにある世は、天界に従属させられ、天界に仕えます(*8)。その時、主は、ご自分の天界の中におられるかのように、彼のもとで両方の世界に現在されます。というのは、主は秩序であられるので、ご自分の神的な秩序の中のどちらの場所にもおられるからです(*9)


*5  もし善のない真理ではなくて、善が教会の特徴と本質的な部分となるなら、教会は一つとなる(1285, 1316, 2982, 3267, 3445, 3451, 3452)。
さらにまた、すべての教会は善から主の前に一つの教会となっている(7396, 9276)。
*6  教会は人間の中にあり、その外にはない。普遍的な教会は、その者の中に教会がある人間から存在する(3884)。
*7  教会である人間は、最大の映像に応じた最小の形の天界である。心に属す彼の内的なものは天界の形に応じて配列され、ここから天界のすべてのものを受け入れることに応じて配列されているからである(911, 1900, 1928, 3624-3631, 3634, 3884, 4041, 4279, 4523, 4524, 4625, 6013, 6057, 9279, 9632)。
*8  人間に内なるものと外なるものがあり、その内なるものは創造から天界の映像に応じて形作られており、またその外なるものは世の映像に応じて形作られており、ここから人間は古代人により小宇宙と言われた(4523, 4524, 5368, 5115,  6013, 6057, 9279, 9706, 10156, 10472)。
それゆえ、人間は、彼のもとの世が天界に仕えるように創造された。さらにまたそのことは善い者のもとに生じる、しかし悪い者のもとでは逆である、そこでは天界が地に仕える(9283, 9278)。
*9  神的善と神的真理は主から発出し、秩序をつくるので、主は秩序であられる(1728, 1919, 2211, 2258, 5110, 5703, 8988, 10336, 10619)。
神的な真理は秩序の法則である(2247, 7995)。
人間が秩序にしたがって生きれば生きるほど、そのように神的な真理にしたがって善の中に生きれば生きるほど、それだけ人間であり、彼の中に教会と天界がある(4839, 6605, 8513)。