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天界と地獄 119

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119  ここから、みことばの中で、主は愛に関して太陽に、信仰に関して月にたとえられ、主からのものである主への愛が「太陽」によって意味され、主からのものである主への信仰が「月」によって意味されています。例えば、次の箇所のように――

月の光は太陽の光のようになる、けれども太陽の光は七倍に、七つの日の光のようになる(イザヤ 30:26)。
わたしがあなたを消すとき、わたしは天をおおい、星を暗くする。わたしは太陽を雲でおおう、月はその光を輝かさない。わたしは天の中の光のすべての光源をあなたの上に暗くし、あなたの地の上に暗やみを与える(エゼキエル 32:7, 8)。
わたしは太陽をその昇る中で暗くする、月はその光を輝かさない(イザヤ 13:10)。
太陽と月は暗くされ、星はその輝きを引っ込める。……太陽は暗やみに、月は血に変わる(ヨエル 2:2, 10, 31;4:15)。
太陽は毛の麻布のように黒く、月は血のようになり、星は……地に落ちた(黙示録6:12, 13)。
それらの日々の苦悩の後、直ちに、太陽は暗くされ、月はその光を与えず、星は天から落ちる(マタイ24:29)。

他の箇所にもあります。

これらの箇所で「太陽」によって愛が意味され、「月」によって信仰が、「星」によって善と真理の知識が意味されます(*5)。それらはもはや存在しないとき、暗くされ、光を失い、天から落ちる、と言われます。
主が太陽として天界の中に現われることは、主がペテロ、ヤコブ、ヨハネの前で変容されたことからもまた明らかです、

その方の顔は太陽のように輝いた(マタイ 17:2)。

弟子たちが身体の中から引き上げられ、天界の光の中にいたとき、主は、このようにご自分の弟子たちに見られました。
ここから、表象的な教会の中にいた古代人は、神礼拝の中にいたとき、東の太陽へ顔を向けました――神殿を東向きにしたのはこのことからです。


*5 みことばの中の「星」と「星座」は、善と真理の知識を意味する(2495, 2849, 4697)。