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天界と地獄121

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121  けれども、主が天界に見られるとき、そのことはしばしば起こりますが、太陽に囲まれて見られないで、顔から輝き貫いてくる神性よって他の天使とは区別された天使の形で見られます。なぜなら、主ご自身は変わらずに太陽に囲まれているので、そこにご自身は存在されず、しかし、見ることによって現在されるからです。天界の中では、視線が定められるかまたは終わる場所に、たとえその場所が自分たちの実際にいる場所からはるかに遠く離れていても、現在するように見られるのは普通のことであるからです。その現在は内なる視覚による現在と呼ばれ、そのことについてはあとで述べます。

さらに、私は、主を太陽の外に、天使の形で太陽の少し下の高いところに見たことが、また太陽の近くに、同じ形の中に、輝く顔で見たことが、さらにまた一度は、天使たちの真ん中に炎の光輝として見たことがあります。