カテゴリー

天界と地獄 143

142◀︎目次▶︎144

143   しかし、天使が顔と身体をどれほど方向転換しても、天使の目の前に東があることは、世ではほとんど理解されません。その理由は、人間には方向転換にしたがって目の前にすべての方位があるからであり、それで、このこともまた説明する必要があります。
天使は人間と同様に自分の顔と自分の身体をあらゆる方向へ向け、曲げますが、それでも常に彼らに目の前に東があります。しかし、天使の方向転換は人間の方向転換のようではありません、その起源が異なるからです。確かに同じに見えますが、それでも同じではありません。支配愛がその方向転換の起源であるからです。そこから天使と霊のもとにすべての方向が決定します。なぜなら、直前に言われたように、彼らの内的なものは実際にその共通の中心へ、したがって天界では太陽としての主へ向けられ、それゆえ、愛の対象が常に彼らの内的なものの前にあり、顔は彼らの外なる形であって、内的なものからその外なる顔が存在するようになるので、それで、顔の前には常にその支配愛があることになります。そこで、天界の中では、それは太陽としての主です。彼らの愛の対象はその方であり、彼らの愛はその方からのものであるからです(*3)。主ご自身が天使のもとのご自分の愛の中におられるので、それゆえ、天使がどのように身体を向けても、主が〔天使に〕ご自分を眺めるようにされるのです。
これらのことをこれ以上にわかりやすく説明することはできませんが、しかしこのあとの章の中で、特に「表象するものと外観について」、それと「天界の中での時間と空間について」扱っているところで、〔読者の〕理解力にさらにはっきりと示します。
天使の顔の前には変わらずに主があること、このことは多くの経験から私に知ることが、そしてまた知覚することが与えられました。私は天使と交わっているたびごとに、私の顔の前に主が現在されることに気づき、たとえその方が見えなくても、光の中で知覚したからです。このようであることを、天使もまたたびたび証言しました。
主は変わらずに天使の顔の前におられるので、それゆえ、世でもまた、「目や顔の前に神がおられる。その方を眺める。その方を信じて、愛する者は、その方を見る」と言います。人間がこのように話すのは霊界からです、なぜなら、人間の話し方の中には霊界からの多くのものがあるからです。それでも、人間は霊界からであることを知りません。


*3 霊界のすべての者は、自分の愛するものへ絶えず自分自身を向けており、そこの方位は顔から始まり、決定される(10130, 10189, 10420, 10702)。
顔は内的なものに対応して形作られている(4791-4805, 5695)。
ここから内的なものは顔から輝き出る(3527, 4066, 5796)。
顔は天使のもとで内的なものと一つになっている(4796, 4797, 4799, 5695, 8249)。
内的なものが顔とその筋肉の中へ流入することについて(3631, 4800)。