天界と地獄216
216. 善からの統治は、主の天的な王国の中にあるようなものであり、公正(義)と呼ばれ、真理からの統治は、主の霊的な王国の中にあるようなものであり、審判と呼ばれるので、それゆえ、みことばの中で「公正(義)と審判」と言われ、そこには天界と教会について扱われています。「公正(義)」によって天的な善が意味され、「審判」によって霊的な善が意味され、その善は、前に言われたように、その本質では真理です。
例えば、次の箇所では――
ダビデの王座の上に、その方の王国の上に、平和は終わりがない、今から永遠にまで、審判と公正(義)の中で、それを確立し、それを支えるために(イザヤ 9:6)。
ここの「ダビデ」によって主が意味され(*4)、また「その方の王国」によって天界が意味され、これは次の箇所からも明らかです――
わたしはダビデに正しい若枝を起こす。王が支配し、知的に行動し、地に審判と公正(義)を行なう(エレミヤ 23:5)。
エホバは高められる、高いところに住まわれるからである。シオンを審判と公正(義)で満たされる(イザヤ 33:5)。
「シオン」によってもまた天界と教会が意味されます(*5)。
わたしは、地に……審判と公正(義)を行なうエホバ〔である〕、なぜなら、これらのことを、わたしは喜ぶから(エレミヤ 9:24)。
わたしは永遠にあなたと婚約する、わたしはあなたと公正と審判の中で婚約する(ホセア2:19)。
天界の中におられるエホバ……あなたの公正は神の山のよう、あなたの審判は大きな深淵のようです(詩篇 36:6, 7)。
彼らはわたしに公正な審判をたずね、神への接近を望む(イザヤ58:2)。
また他の箇所に。
*4 みことばの預言の中で「ダビデ」によって主が意味される(1888, 9954)。
*5 みことばの中の「シオン」によって教会が、特に天的な教会が意味される(2362, 9055)。